それはまだ空は真っ暗で、瞳に映る星々が美しくキラキラと瞬き、だけどそろそろ朝の気配を僅かに感じ始める始める僅か前の静寂な時間。
そこはまるで生き物の気配が感じられないとある砂漠。
大きな一枚布を体に巻きつけ、寒さと砂風から体を守りながらひとりの人間がおぼつかない足取りで歩いていた。
人間は、とある場所の前までたどり着くと。暫くそこに黙って立っていた。
目の前にそびえ立つのは、大きな口を開いた洞窟だ。人間は口を覆っていた布を顎まで下げた。
「珍しいだろう?こんな時間にこんな場所にいるはずのない人間が?」
砂風がそれに「ん?」と反応するように吹いた。すると人間の体を覆う布が少しはだけて隠れていた長い黒い髪がひと束溢れた。どうやら人間は少女のようだ。
「名もなき大いなる力よ、生きてるだけで破壊をもたらす力よ、もし、退屈しているなら私の前にその姿を現せ!」
少女の悲鳴のような呼びかけに答えるように、砂風が下から上空へと渦を巻くように吹き上げ、少女を見えない大きな手のひらで包み込み物色するかのように軽くふわっと空中に浮き上がらせた。
風がおさまり、少女は優しく地面に降ろされた。ふと少女は気配を感じて顔を上げると、先ほどまで洞窟の入口だった岩が砂に覆われて虎の形を作っていた。
巨大な虎の形をした岩。
偉大な自然の力。
自分はまるで蟻のように小さく弱い。
それに対して
圧倒的な神々しさ。
圧倒的な美しさ。
ただそれだけしか頭に浮かべられなかった。
無宗教の少女だが、「これが神」と言うなら人間が神を崇める理由が分かる気がした。
圧倒的。
無条件に跪きそうだ。
だが少女はその場の感情に流されなかった。
少女は今、強い意志を持っていたからだ。
この目の前の「力」を自分だけの力にするという意志。
できなければ、自分は惨めに死ぬしかないという覚悟。
このひとつの山のように巨大な虎の興味を引くことには成功した。
飽きて興味をなくす前に、早く次の手を打つ。
この虎の形をした巨大な力は、退屈をなにより嫌う。
「そなたの力は巨大すぎる。それ故にこの世界を傷つけ壊してしまう。だからそなたは何千年も眠って過ごしている。なぜならこの世界が壊れたらそなたの居場所もなくなるから。でもそのまま一生を、永遠をそなたは眠って過ごすのか?ただこの世界を観察者として過ごすだけなのか?そうしてひとりで死んでいくのか?」
風がピタッと数秒止まり、無風の状態を確認し、少女も無言になった。
「私なら、そなたの力を活かせる。私と一緒に来い!」
「要件を言うがよい。」
虎が初めて言葉を発した。まるで獣がグルルと低く唸るような声だ。虎はつまらぬことを言うならタダじゃおかないと言わんばかりに目を見開き少女を睨め付けた。
「私にこのクソ退屈な世界を、ぶっ壊す力を」
虎はしばらく考えるように、黙ったままだった。目を覗かれる。
だがその猫のような口元がニヤリと笑った。
牙がデカすぎて、もはや恐怖を感じない。
その表情は神と言うより悪魔だった。
「よかろう、ただし……」
「ーーー……….!」
そして、
朝日が頭を出した。
朝日が顔を出し始めると登るのは早い。
どんどん砂漠が黄金色に輝き、冷え切った空気を温め始めた。
美しい。
風はすっかりおさまり、無風で無音の黄金世界が広がっていた。
少女は、ここに訪れる前と瞳の色が変わっていた。朝日に照らされた砂漠のように黄金色だ。
そこで少女は気付いた。
あの激しい砂嵐は、
砂漠の砂を綺麗に掃除していたんだ。
少女の足元に広がる砂は汚れひとつないまるで黄金色の絨毯のようだった。
「ちゃんと意味があったんだ……。」
自然の摂理はすべてちゃんと意味がある。雨が降るのも、嵐が起こるのも、地震が起こるのも、噴火するのも。奇跡的な美しさのため。
「ベル?」
自分に取り憑いた虎の魂に呼びかけてみる。
眠っていて反応がなかったが、片耳を僅かに動かし返事した。
私はこの腐った世界を
この虎で
必ず殺す。
少女は黄金の砂漠に包まれ
そのまま飲み込まれるように
その場から姿を消した。